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モーツァルト♪

 

愛しのモーツァルト

モーツァルトが好きです。2279609940_863fb66428_m1

 

 

いえ、正確に言えば、「好き」とか「嫌い」とか

言う次元ではなく。

我が人生に、なくてはならない存在。

 

 

大げさではなく、本当なのです。

彼の音楽があったからこそ、今こうして笑っていられる気もします。

 

 

で、今日は彼の亡くなった日。

 

 

あの世に召される瞬間は、やっぱりモー様を聴いていたいなぁ。

しんみり思う、命日なのでした。

 

 

 
 

41番シンフォニー

もう12年前になりますが、165515352_ecfe598ef0_m[1]

大阪城公園近くの いずみホールにて、

印象深いコンサートがありました。

 

大植英次と大阪フィルハーモニー交響楽団の

ラブラブコンビによる、オール・モーツァルト。

 

プログラムの最後に演奏されたのが、41番シンフォニー。

 

41番は明るくて壮大。

そういうイメージがあるので、その日も気楽に演奏を楽しもうと思っていたのでした。

 

ところが、まさか、まさか。

第四楽章のラストの盛り上がりのところで、はからずも号泣。

 

なんだ。何が起こったんだ?なんでワタシはこんなに泣いているんだ?

だって、どうしようもないんだもん。

となりの席の人にバレる。恥ずかしい!誰かとめて。ワタシのナミダを。

 

心臓の鼓動は激しく、頭の中は真っ白。

ただ感動だけが、あとからあとから怒涛のように押し寄せてくるのです。

涙の霊でも憑りついたんか?っていうくらいにぐちゃぐちゃに泣きました。

 

後にも先にも、こんな経験はこれ一度きり。

一生忘れられないコンサートになりました。

 

みなさんにも聴いていただきたいと思い、大植&大フィルで探したのですが

見つからず。演奏者は違っても名曲は同じということで、どうぞお聴きください!

 

交響曲 第41番 ハ長調 第四楽章 (モルト・アレグロ

 

 

 
 

40番シンフォニー

僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、5917950698_9834df1f5f_m[1]

大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、

このト短調シンフォニイの有名なテエマが

頭の中で鳴ったのである…

それは、自分で想像してみたとはどうしても思えなかった。

街の雑沓の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、

誰かがはっきりと演奏した様に鳴った。

僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた。

百貨店に駆け込み、レコオドを聞いたが、もはや感動は還って来なかった。

…ほんとうに悲しい音楽とは、こういうものであろうと僕は思った。

その悲しさは、透明な冷い水の様に、僕の乾いた喉をうるおし、

僕を鼓舞する、そんな事を思った。

 

この文章は、有名な小林秀雄の評論、「モオツァルト」の中の一節です。

これが書かれたのは、昭和21年の夏ごろのこと。

 

こんなことって、あるかな…

少なくとも、小林秀雄にはあったんやろう。

道頓堀近くの百貨店って、髙島屋やろか。

(いろんなことを考えてしまいます)

 

こんな経験をした、小林秀雄にちょっとばかり嫉妬したりして…

 

今日は、彼の頭の中で突然鳴ったという、40番シンフォニーの第四楽章!

 

 

交響曲 第40番 ト短調 第四楽章(アレグロ アッサイ)

 

 
 

39番シンフォニー

生きていることと、死んでいることは、

もしかしたら23-19-20-90_250x250[1]同じことかも知れへん。

そんな大きな不思議なものをモーツァルトの

優しい音楽が表現しているような気がしましたの。

 

 

これは、宮本輝氏の「錦秋」という小説の中の

主人公のせりふです。

 

この小説の中には、<モーツァルト>という名前の喫茶店が出てきます。

店の主人は大のモーツァルトファンで、主人公の女性にいろいろと

モーツァルトについて語るのですが、39番シンフォニーのことを

「16分音符の奇跡」だと表現します。

 

この小説がきっかけで、39番をしっかり聴きなおしたいと思った私は、

文庫本を片手に、何度も何度もくりかえしCDを聴きました。

モーツァルトのシンフォニーといえば「40番」一辺倒だったのですが、

39には39の魅力、素敵さがいっぱいつまっていることをはじめて知ったのです。

 

特に好きなのは、第二楽章。

冒頭のせりふ、「生きていることと死んでいることは同じことかも知れへん」

そう主人公に言わせた作家の想いが伝わってくるような

静けさと哀感に満ちています。

 

交響曲 第39番 変ホ長調 第二楽章(アンダンテ コンモート)

 

 

 
 

モーツァルト生誕260年

1756年1月27日。

モーツァルトが生まれてから、

250px-Wolfgang-amadeus-mozart_1[1]今年でちょうど260年め。

 

昨日、久しぶりにいずみホールの

コンサートに行きました。

 

プログラムは、オールモーツァルト。

しかも、シンフォニーの39、40、41番。

 

デスピノーザ(指揮)&日本センチュリー交響楽団の

演奏は、オーソドックスで端正なモーツァルトでしたが、

個人的には、もう少しうねるような「熱」が欲しかったな…という思いも。

 

でも、これをきっかけに晩年の三大シンフォニーに、

スポットを当ててみたくなりました!

 

次回からは、しばらくモーツァルトにおつき合いくださいませね!(^_-)-☆

 

 

 
 

モーツァルトとマリー・アントワネット

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ウィーンの シェーンブルン宮殿で

はじめて<御前演奏>をします。

 

 

 

ピアノのそばに立っているのが、お父さんのレオポルトと幼いモーツァルト。

椅子に座っているのは、皇帝フランツ一世夫妻。

女帝マリア・テレジアに抱えられている女の子が、マリー・アントワネットです。

 

ピカピカに磨き上げられた床で、すべってころんでしまったモーツァルト。

助け起こしてくれたマリーに、「君はやさしいね。大きくなったら僕の

お嫁さんにしてあげる」と 言ったというエピソードが。(^^♪

 

鍵盤を布でかくして弾いたり、一本指で演奏したり…と、200px-Wolfgang-amadeus-mozart_2[1]

いろいろな曲芸をして皇帝を喜ばせた

天才児モーツァルト。

 

後日、マリア・テレジアから 豪華な礼服を

頂戴したようで、それを着て 誇らしげに

ポーズをとっている姿が、肖像画に残されています。

 

ほんとに可愛いヴォルフガング…! (≧▽≦)

 

 

 
 

哀しみのモーツァルト~レクイエム~

1791年。

 

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モーツァルトは

歌劇『魔笛』を完成させます。

 

いつもながら作曲の仕事はたてこみ、

7月に依頼された『レクイエム』も

同時進行で進めている状態でした。

 

そのころの彼の私生活は…

三男、長女、次女が相ついで生まれるのですが、

いずれもすぐに病気で亡くなっています。

その上、妻のコンスタンツェも重病にかかり、療養に行ってしまいます。

 

家計は火の車。

働いても働いてもお金はなくなっていく。

相当追い詰められた生活だったようで…

 

そうこうしているうちに、ついに彼自身も病に倒れてしまうのです。

伝染病だったとか食中毒だったとか、諸説ありますが

心身ともに疲れ果てていたのでしょう。

 

『レクイエム』は、8曲目<ラクリモーサ~涙の日>の

最初から8小節までが彼の作。

そこで絶筆となっているのです。

 

you tubeで楽譜付きのものを見つけましたので、

ぜひ、その8小節までを確かめてみてくださいね。

(続きは弟子が補筆完成したと言われています)

 

12月5日はモーツァルトの亡くなった日。

 

合掌。(:_;)

 

ラクリモーサ(涙の日)

 

 
 

「おいらは鳥刺し」聴き比べ!

モーツァルト晩年のオペラ「魔笛」は、220px-Papageno[1]

大人も子どもも一緒に楽しめる、

奇想天外なファンタジー作品。

 

以前、このオペラの中の人気のアリア(独唱歌曲)、

<夜の女王のアリア>にスポットを当てて紹介したことが

ありますが、今日はそれに勝るとも劣らない人気の

「おいらは鳥刺し」というアリアの聴き比べです!(^^)

 

<鳥刺し>ということば、気になりませんか?

 

鳥を刺す?なんや、それ。焼き鳥?

そう思う方は多いでしょう。

 

<鳥刺し>とは、鳥類の捕獲を仕事にしている人のこと。

「魔笛」の中では、夜の女王に鳥たちを献上している

<鳥おとこ>として、ユーモラスに登場します。

(ちなみに、教室の発表会でも「魔笛」の物語を上演したことが

何回かありますが、この曲は親しみやすく、みんなすぐに

おぼえてルンルンと歌ってくれました!)

 

まずは、ヘルマン・プライ

そして、サイモン・キーンリーサイド

なんと、ボカロの日本語バージョンまでありましたよ!(^^;)

(You Tube本当に便利…)

 

 

 
 

モーツァルト5歳の曲

200px-Wolfgang-amadeus-mozart_2[1]モーツァルトは、3歳のころから

お姉ちゃんのナンネルのまねをして、

ひとりでピアノを弾き始めたそうです。

 

4歳でナンネルの練習帳(お父さんのお手製の

練習曲集です)を弾きこなし、5歳のときには

とうとう作曲活動をスタートしてしまいました。

 

わずかな音の狂いも聴きのがさないモーツァルトは、

絶対音感があったと言われています。

「おじさんのヴァイオリンは、僕のより8分の1音低いよ」

と、しゃあしゃあと言ってのけたという逸話が。(^^;)

 

神童の初めての作品って、どんなだったんだろうって思いませんか?

ね、みなさん、興味あるでしょう?

ぜひ聴いてみてくださいね!(^_-)-☆

 

K.1a,1b,1c

 

 
 

哀しみのモーツァルト~弦楽四重奏曲編②~

5449807643_74ff4c115a_m[1]わずか6歳の頃から、ヨーロッパ中を

演奏して回ったモーツァルト。

 

三回目のイタリア旅行のときに、

6曲の弦楽四重奏曲を作っています。

(「作っています」とさらりと書きましたが、

彼は当時16歳でした…。(^^;) )

 

3曲目の、第二楽章が短調の作品なのです。

 

何を思ってこんなにどんどん曲が作れるのか。

天才だから。と言ってしまえば、それで終わりなのですがね。

それにしても16歳で…。

どういう感性をしてるのでしょう???

 

 

  弦楽四重奏曲   第4番   ハ長調   K.157   第二楽章

 
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