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今日が誕生日の音楽家

 

ブラームス

thCAC69I62今日5月7日は、チャイコフスキーの誕生日

であると同時に、ブラームスが生まれた

日でもあるんです。(^O^)

チャイコフスキーより7年前のことになります。

 

クラシックでもロックでも、音楽のジャンルに

かかわらず、ぱっと聴いた印象よりも

何度も聴き込んでいるうちに曲の味わいが

少しずつ増していく…。

ブラームスは、そういうタイプの音楽家かもしれません。

 

恩師シューマンの奥さんであるクララを一途に想い続け、

生涯にわたって彼女を精神的に支え続けた男性としても有名。

結局、シューマン亡きあともクララと結ばれることはありません

でしたが、病床のクララを最後まで励まし続けたという逸話が残っています。

 

ブラームスは果たして、それで幸せだったのでしょうか。

それとも、単に苦しみ抜いた人生だったのでしょうか。

 

心から愛せる人に出逢えた。

それだけでも幸せだったと、彼が思ってくれてたらなぁ…。(;_:)

 

交響曲 第一番

 

 

 
 

チャイコフスキー

Peter Tschaikovsky As A Student At Conse<今日が誕生日の音楽家>シリーズ。

例によってご本人の写真を探しましたが、

チャイコフスキーさんの写真は、

どれも白髪のおじいさんになってからの姿。

そう、そう。

音楽室に飾ってあった、あの写真です。

 

決しておじいさんの写真はよくないと

言っているのではありません。

有名な音楽家にありがちなのですが、

<ひとつの写真=その人>みたいに、何かイメージが

こり固まってしまっていることに急に不自然さを感じたんです。

 

チャイコフスキーにだって、若かりし頃はあった。

ロマンティックな作風にぴったりの、

イケメン青年の時代がちゃんとあった。

それなのに、最初からずっとおじいさんだった

みたいな錯覚を、みなさん、おぼえませんか?

 

1840年の今日、5月7日。ロシアのヴォトキンスクに生誕。

名曲は数知れず。

今回は、さすがにどれにしようか迷いました。

が、やはりバレエ音楽の中でも一番にランキングされるこの曲で。(^^♪

 

白鳥の湖 ~情景~

 

 
 

ラフマニノフ

180px-Rachmaninoff_1900[1]1873年の今日、4月1日がラフマニノフの誕生日。

 

生前、彼は身長が2mくらいあったそうです。

当然のことながら、手も大きい。

 

なんと、ドの音に左手の小指を乗せ、

1オクターブ半上のソを親指でおさえられたとのこと!(゜o゜)

 

そう言えば、あることを思い出しました。

10年ほど前、ヴァレリー・アファナシエフのリサイタルに行ったときのこと。

すごい長身ゆえに、コンサートピアノが小さく見えました。

鍵盤の上に乗せられた手指は、まるで山崎スティックパンみたい。(^^;)

ラフマニノフも、きっと同じような感じだったのでしょう。

 

<ヴィルトゥオーソ(完璧な演奏家)>と称されたラフマニノフでしたが、

交響曲第一番の発表が失敗に終わり、強烈な挫折感も味わった人生でした。

 

けれど、ラフマニノフといえば やはりこの曲ですよね。

映画作品の中で用いられたり、最近ではフィギュア・スケートの

浅田真央選手のフリー演技の楽曲としても有名になった、あの曲です。(^^♪

 

ピアノ協奏曲 第二番

 

 
 

F.J.ハイドン

Haydn_portrait_by_Thomas_Hardy_(small)[1]1732年3月31日、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンは

オーストリアで生まれました。

 

幼い頃から音楽の才能に恵まれていたようです。

歌声の美しさを買われて、8歳のときに聖歌隊に

入り、寄宿舎で生活を続けた少年ハイドン。

親元を離れて暮らし、さぞかし苦労も多かった

ことでしょう。

 

ところが、聖歌隊でがんばったにもかかわらず、

声変わりして使い物にならなくなると、もうお前はいらないと

ばかりに解雇されてしまいます。

それからは、コツコツと自分自身で音楽の勉強に勤しみ、

作曲をするようになったとのこと。ほんと、頭が下がります。

 

モーツァルトと親交を深めたのは、有名な話。

モーツァルトが25歳のとき、ハイドンはすでに49歳になっていました。

親子ほども歳の離れた二人でしたが、音楽を通じて魂が響き合った

ということでしょうか。

ハイドンはモーツァルトの才能を認め、モーツァルトはハイドンを

心から慕い、6つの弦楽四重奏曲(ハイドン・セット)を捧げています。(^^♪

 

交響曲94番『驚愕』第二楽章

 

 
 

J.S.バッハ

Bach[1]1685年の3月21日、ドイツに生まれた

ヨハン・セバスチャン・バッハ。

 

バッハ一族に生まれたら

音楽家になるのは当たり前というほど、

楽師を輩出した家系だったということです。

 

日本でもたいへん人気のある作曲家ですが、

これほど愛されるようになったのは、意外にも

死後80年ほど経ってからのこと。

きっかけは、メンデルスゾーンやシューマンによる

バッハ作品の掘り起しでした。

 

幼くして両親を亡くし、最初の妻に先立たれて

男手ひとつで4人の子どもを育てたり、教会や学校など

組織の中のややこしい争いごとに巻き込まれたり、

いろいろと苦労の絶えない生涯だったバッハ。

晩年には、失明までしてしまいます。

(これは、少年時代に月明かりやろうそくの火など、

薄暗い灯りの中で写譜したことが一つの原因だったそう)

 

それでも、生一本、真面目一徹に生きたバッハ。

最初の妻も再婚した二度目の妻も、どちらも彼を

尊敬し、愛し、内助の功で支え続けたという話が

本当に救いに感じられます。(;_:)

 

主よ、人の望みの喜びよ

 

 
 

リムスキー=コルサコフ

250px-Walentin_Alexandrowitsch_Serow_004[1]1844年の今日が、

リムスキー=コルサコフの誕生日。

 

この人のファンからは、

「リムスキーと言えば、必ずと言っていいほど

『シェエラザード』ばっかり取り上げられるけど、

ほかにもいっぱいいい曲あるよ!」と

つっこまれてしまうのですが…。

この曲には、ちょっとした思い出がありまして。

 

昔々、ロックや黒人音楽にどっぷりと浸かっていた頃、

ある同級生が、この曲のカセットテープを貸して

くれたのです。

 

彼は当時、学ランにリーゼントで、永ちゃんとかが好きで、

夜中にバイクをブッ飛ばす、いわゆるヤンキー少年でした。

それがある日、「ロックもええけど、こんなんもええで」と…。

よく聞くと、中学時代は吹奏楽部に所属していて、クラシックを

たくさん聴いていたとのこと。

 

十代の多感な心境に、スーッと入ってきた『シェエラザード』。

千夜一夜の物語を想像しながら聴いたのを覚えています。(^^)

 

シェエラザード

 

 
 

ショパン

Chopin_1849_by_Bisson[1]<ピアノの詩人>フレデリック・ショパンの

誕生日は、1810年の今日、3月1日。

 

すでにこのコーナーで紹介した作曲家は、

短命な人が多かったです。

モーツァルト35歳。シューベルト31歳。

メンデルスゾーン38歳。

そして、このショパンも、

39歳という若さで亡くなっています。

肺結核が原因だったとのこと。

 

幼い頃から感受性が強かったらしく、お母さんが弾いているピアノの

音を聴いて、涙をポロポロ流したというエピソードが残っています。

彼は、生涯ピアノという楽器をこよなく愛したのでしょう。

作品のほとんどが、ピアノ曲です。

 

祖国ポーランドへの郷愁。実らなかった恋への想い。

そして、長年わずらった病の苦しみ。

ショパンには、薄幸だったイメージがつきまといがち。

 

けれど、ロマンチックなワルツにも、陽気なマズルカにも、

勇壮なポロネーズにも、すべて彼の満面の笑みがあふれているみたいに感じる。

そう思うのは、私だけでしょうか?(^^)

 

ノクターン Op.9-2

 

 
 

チェルニー

180px-Czerny_2[1]1791年2月20日。

実に223年前の今日、ウィーンで生まれたチェルニー。

(時代背景としては、フランス革命の頃になりますね)

 

才能に恵まれた彼は、子どものときから

ベートーヴェンの弟子になりました。

14歳ともなれば、今度は自分が教える立場になり、

朝から晩まで12時間もピアノレッスンをしていたとのこと!

(あのフランツ・リストも彼の生徒だったのです)

 

さて、そのチェルニー。

日本では、バイエルとともに ピアノ教育に絶対に欠かせない

テキストとして、長い間使われ続けてきました。

が、 本当のところ、あまりチェルニーが好きな人はいないんです。

「難行苦行みたいでつまらない」「全然たのしくない」といった

声の方が圧倒的に多かった。(かくいう私もそうでした (^^;))

 

「なぜチェルニーをやらなければならないのか?」

音楽ライターの山本美芽氏は、私たちみんなの疑問を背負って立つかのように、

『21世紀へのチェルニー~訓練と楽しさと~』(株式会社ショパン)

という本を出版してくれました。

どうチェルニーとつき合うか?はもとより、

日本のピアノ教育の歴史やあり方にはじまって、そもそも

<どう音楽と向き合うべきか?>まで突き詰めて考える機会を与えてくれる、

勉強になり、なおかつとっても面白い本なんです。(^O^)

 

チェルニーの誕生日をきっかけに、本の宣伝をしてしまいましたが。(^▽^;)

ピアノ教育に情熱を傾けたチェルニーさんなら、きっとわかってくれますよね。

 

ぜひご一読を!(^_-)-☆

 

 

 
 

グルリット

Cornelius_Gurlitt[1]グルリットは、1820年の今日、 2月10日に

プロイセン(現在のドイツ)に生まれた作曲家です。

 

交響曲はじめ オペラや歌曲など、

作品数はかなり多いらしいですが、

現在 よく知られているのは、初心者用のピアノの小品。

 

教材の練習曲の中に 彼の名前を見つけるたびに、

子どもたちは

「あ、またグルリットさんの曲や。ようあるなぁ」

「おもしろい名前!これ苗字やろ?ヘン…」

「先生。この曲はグルリっと回る感じで弾いたらええんやろ?」

などと、いろんなことを言って笑わせてくれます。(^^)

 

ガヴォット イ短調

 

 
 

メンデルスゾーン

250px-Mendelssohn_Bartholdy[1]1809年の今日、2月3日の節分が

誕生日のメンデルスゾーン。(^^)

ドイツのハンブルクで生まれました。

 

子どもの頃から勉強はできるし、

絵は上手だし、なんと五か国語もあやつれたそうで、

イメージは「天才肌」。

 

ピアノの発表会で、みんなに人気のあるのが『春の歌』。

ヴェニスのゴンドラの歌 』も、切ない曲調で とても素敵です。

 

でも、なんと言っても一番ポピュラーなのは、

例の、結婚式の定番曲ですよね!(≧▽≦)

 

『真夏の夜の夢』より『 結婚行進曲』

 

 

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