LIFE
戦争は絶対に駄目
Yちゃんは、1年生です。
先日のレッスンで、七夕の短冊に書いた願いごとの話になりました。
「そう言えば、Yちゃんは
将来パティシエになりたいって書いてたね」
「そう」
なんだか、浮かぬ顔。
「どうしたん?」
「今日ね、平和記念登校日で。
学校で戦争の話を聞いたんです」
戦争の話のショックが大きかったのか、
Yちゃんは目を赤くして続けました。
・・・世界が平和でないと、パティシエもなにも意味ない。
言いたいことがあったらね。口で言えばいいんですよ。
暴力は絶対に、絶対に駄目です。
つらいけど、戦争のことは知っとかんとあかん。聞かんとあかん。
またおんなじことくりかえしたらあかんから・・・
Yちゃんは一気に吐き出しました。
あとで、お母様にそのことを報告しました。
お母様いわく、Yちゃんは その登校日以来、夜になるとよく泣いているそうです。
なんとも言えない気持ちになりました。
すべて大人の責任です。
今夜も、戦争番組がたくさん放送されます。
つらいけど、直視しなければいけません。
目をそむけていては なりません。
大晦日に中村紘子さんを偲ぶ
追悼番組を見ながら、これを書いています。
音楽の背後にある、その人の精神性。
志の高さ。深遠なる世界。
(どうしてこんなに圧倒されるのでしょう?)
昔、中村さんの講演会に行ったことが
あるのを、ふと思い出しました。
ピアノの演奏についてや、音楽について、さぞかしいろいろなお話が
聞けるのでは?と、講師の友人たちと誘い合わせていそいそと出かけたのです。
ところが・・・
彼女は、まったくと言っていいほど、そういう話はしませんでした。
彼女が語ったのは、当時の国際情勢について。
戦争について。民族対立の問題について、などなど。
まるで、政治家やキャスターの講演会のような雰囲気でした。
そのときは、なぜ彼女がそんな話ばかりするのか、私には理解できませんでした。
お客は、彼女が講演するのだったら、100%音楽の話を期待して来るでしょう。
それに応えようとしない彼女に、どこか違和感を感じていたのかもしれません。
でも、今日の番組の彼女の演奏を聴いていて、なんとなくわかった気がしました。
彼女の関心ごとは、即、音楽へと結びついているのです。
それが「中村紘子」なのです。
常日頃から、世界の情勢のことを気にかけ、人間について深く思索する。
そういう生活の積み重ねが、この音楽性を生み出している。
講演会で語った内容は、彼女の生き方からして、とてもナチュラルなことだったのだ。
そう感じました。
中村紘子さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。
音楽の道
あるいは、進ませるべきか、どうか。
ときどき相談を受けます。
そんなとき、今は亡き江口寿子先生(一音会の創立者)の
ことばをいつも思い出します。
先生は言われました。
演奏家は、他人が「なれ」といって、なれるものではないわ。
そして演奏家になる人は、周囲のすべての人が
「なるな」といったところで、なるわ。
見えない綱で引き寄せられるように、どんどん音楽の世界に
引き込まれていってしまうのよ。
自分でも止めようがないの。
だって、音楽が、他の何より圧倒的に好きなのだもの!!
そして、こうも言われました。
音楽の道なんて、いつやめたっていい。
向いてないことをやり続けるほど苦しいことはないわ。
そしてね…そんなことで音楽を嫌いになったら、それが一番不幸なことなのよ!
とどのつまり、そういうことなのだと私も思います。
だから、江口先生のように私もまた、音楽の道に進むのを
すすめもしないし反対もしない人でおります。
先輩のライフワーク
あるチャリティーコンサートに行ってきました。
知的障がいをもつ人たちの支援をする
このコンサートは、今年で20回目だそう。
障がい者や保護者の方たちで結成された合唱団が、
からだ全部を使って迫力いっぱいに歌っていました。
それだけでも圧倒されるのですが、
その「歌」がすべてオリジナル曲なのがgood!
コンサートが進むにつれ、
作詞・作曲を担当したのが先輩自身だとわかって、またまたびっくり。
教員をしながら、仕事とは別の世界でも頑張っている姿に感動。
ライフワークを 持つって、本当に素晴らしいことだと感じました。
「ひとり」が基本
みんなで仲良く協力し合って
それはとっても素敵なことだと
誰もが思うでしょう。
「みんなで」 は、もちろんいいに決まってる。
けれど 今日はそちらの話ではなく、
「 ひとり」は大事だよ、という話です。
楽器を練習するときって、たいていひとりです。
たとえ吹奏楽の部活でも、個人練習がものを言うので、
となりに誰かがいたとしても、それは「ひとりの闘い」になります。
「 ひとりの闘い」は 孤独で厳しいものです。
何百回も素振りをする 野球選手や、転んでも転んでもジャンプする
フィギュアスケート選手と 基本は同じですから。
でも、それが 結果的に自分を強く、たくましくしてくれます。
「 ひとりの闘い」ができる人間が集まってはじめて、
みんなで何かができるのかもしれないなぁと思います。
新しい一日を
しまいがちになります。
ただただ あわただしく一日が始まって終わる。
その繰り返し…。
先日、いつものように買い出しに出かけ
自転車のペダルをキコキコ懸命にこいで
走っていたところ、あるお寺の前にさしかかりました。
玄関の掲示板に貼ってある白い紙にふと目をやると、
こんな<お言葉>があったのです。
「元旦を迎えるような気持ちで毎朝起きなさい。
夜眠るときは、大晦日の晩のような気持ちで床につきなさい」
はぁ~ 。( ̄▽ ̄)
そうだよなあ。こうあるべきだよなあ。
一日一日を<流して>いくのではなく、
もっとていねいに、感謝をもってはじめ、感謝をもって終えたいな。
心からそう思った次第です。
ハイ。(^^♪
「練習」は大事だけど
それは当たり前の話ですね。
だけど、「練習しなくちゃ、練習しなくちゃ」と
思いすぎると、心の負担になります。
ピアノを弾くことが楽しくなくなってしまうのです。
できれば、「 練習しなくちゃ」ではなく、
「今日も楽しく弾こう」でありたいものですね。
結果として…練習になっていた。
昨日より上達していた。
楽しく弾けたし、おまけに 上手になって喜びが二倍になった。
それが理想!
少しゆったりした気持ちで「練習」を楽しみましょう。(^_-)-☆
走り出す前に
いやはや、はやかった…
ここのところ、会う人会う人みんな口を
そろえて言ってました。
年末っていう感じがまったくしないと。
なんでなんでしょうねぇ…?
新しいスタートを切って走り出す前に、一年をそっと ふり返りたいです。
カウントダウンもいいけれど、今年は何かに浮かれて
ワイワイと新年を迎える気がしません。
内省のときを持ち、心を深く沈めて、静かに過ごしたい気持ちです。
みなさま、一年間どうもありがとうございました!
来年も、みなさまにとって素晴らしい年となりますように!\(^o^)/
羽生選手に泣いた
見ていましたか?
私は、ちょうど男子の公式練習が今から始まる
といったところから見始めました。
たくさんの選手が一度にリンクに飛び出してきて
さいごの調整をはじめました。
昨日は、ふと「ここで選手どうしがぶつかったら、
エライことになるなぁ」と思ったのです。(虫が知らせたとしか思えません)
ほんの少しうつむいて、つぎに顔をあげたときには
羽生君と中国選手がすでにリンク上に倒れていました。
ふらふらの姿といい、あごの流血といい、羽生選手はもう出られないと
みんな思ったのではないでしょうか。
でも結果として彼は出場し、みごと2位の成績をおさめました。
無理せずに棄権すべきだったのではないか。
そういう声も多かったと聞きます。
確かに、その意見もまた真なり、です。
私も、単純に「根性至上主義」的に彼を褒めたたえるつもりはありません。
ただ、彼はどうするかを自分で決めた。
自分のけがの状況、ちゃんと滑れるかどうか、何度も事前にチェック
していた姿はとても冷静だったように思えます。
「よし、いける!」
彼の中ではそれが明白になった。
そしてそれプラス、「滑りたい」という情熱がはるかに上回っていた。
それだけだったのでしょう。
たいした19歳です。
おそれいりました。
自分の心を見つめよう
去年の暮れに、「夢がかなうノート」
についてお話をしました。
今日は、もう一冊のノートづくりの提案です。
それは、「自分の心の声を書き出すノート」。
誰にも言えないことをあらいざらい書く。
悲しかったこと。つらかったこと。淋しかったこと。
過去のことだけでなく、今の苦しい気持ちだってもちろん書く。
嬉しかったことも、これからの願いも、やりたいことも、
恥ずかしがらずに全部書くのです。
いったん言葉にして体外に<出す>と、そこに客観性が生まれ
自分の内面がはっきりしてきます。
自分はどういうタイプの人間なのか。
何をして生きていくのが幸せなのか。
人生で一番大切なものは何だと思っているのか。etc.
すべてがクリアになってきます。
ちょっとセルフ・カウンセリングみたいなものかもしれません。
少し高くても、文房具屋さんで とびきりお気に入りの一冊を
求めて、だまされたと思ってぜひ始めてみてください。
スッキリ視界が開けて新しい出発ができますよ!(^_-)-☆