今日が誕生日の音楽家
ブラームス
であると同時に、ブラームスが生まれた
日でもあるんです。(^O^)
チャイコフスキーより7年前のことになります。
クラシックでもロックでも、音楽のジャンルに
かかわらず、ぱっと聴いた印象よりも
何度も聴き込んでいるうちに曲の味わいが
少しずつ増していく…。
ブラームスは、そういうタイプの音楽家かもしれません。
恩師シューマンの奥さんであるクララを一途に想い続け、
生涯にわたって彼女を精神的に支え続けた男性としても有名。
結局、シューマン亡きあともクララと結ばれることはありません
でしたが、病床のクララを最後まで励まし続けたという逸話が残っています。
ブラームスは果たして、それで幸せだったのでしょうか。
それとも、単に苦しみ抜いた人生だったのでしょうか。
心から愛せる人に出逢えた。
それだけでも幸せだったと、彼が思ってくれてたらなぁ…。(;_:)
チャイコフスキー
例によってご本人の写真を探しましたが、
チャイコフスキーさんの写真は、
どれも白髪のおじいさんになってからの姿。
そう、そう。
音楽室に飾ってあった、あの写真です。
決しておじいさんの写真はよくないと
言っているのではありません。
有名な音楽家にありがちなのですが、
<ひとつの写真=その人>みたいに、何かイメージが
こり固まってしまっていることに急に不自然さを感じたんです。
チャイコフスキーにだって、若かりし頃はあった。
ロマンティックな作風にぴったりの、
イケメン青年の時代がちゃんとあった。
それなのに、最初からずっとおじいさんだった
みたいな錯覚を、みなさん、おぼえませんか?
1840年の今日、5月7日。ロシアのヴォトキンスクに生誕。
名曲は数知れず。
今回は、さすがにどれにしようか迷いました。
が、やはりバレエ音楽の中でも一番にランキングされるこの曲で。(^^♪
ラフマニノフ
生前、彼は身長が2mくらいあったそうです。
当然のことながら、手も大きい。
なんと、ドの音に左手の小指を乗せ、
1オクターブ半上のソを親指でおさえられたとのこと!(゜o゜)
そう言えば、あることを思い出しました。
10年ほど前、ヴァレリー・アファナシエフのリサイタルに行ったときのこと。
すごい長身ゆえに、コンサートピアノが小さく見えました。
鍵盤の上に乗せられた手指は、まるで山崎スティックパンみたい。(^^;)
ラフマニノフも、きっと同じような感じだったのでしょう。
<ヴィルトゥオーソ(完璧な演奏家)>と称されたラフマニノフでしたが、
交響曲第一番の発表が失敗に終わり、強烈な挫折感も味わった人生でした。
けれど、ラフマニノフといえば やはりこの曲ですよね。
映画作品の中で用いられたり、最近ではフィギュア・スケートの
浅田真央選手のフリー演技の楽曲としても有名になった、あの曲です。(^^♪
F.J.ハイドン
オーストリアで生まれました。
幼い頃から音楽の才能に恵まれていたようです。
歌声の美しさを買われて、8歳のときに聖歌隊に
入り、寄宿舎で生活を続けた少年ハイドン。
親元を離れて暮らし、さぞかし苦労も多かった
ことでしょう。
ところが、聖歌隊でがんばったにもかかわらず、
声変わりして使い物にならなくなると、もうお前はいらないと
ばかりに解雇されてしまいます。
それからは、コツコツと自分自身で音楽の勉強に勤しみ、
作曲をするようになったとのこと。ほんと、頭が下がります。
モーツァルトと親交を深めたのは、有名な話。
モーツァルトが25歳のとき、ハイドンはすでに49歳になっていました。
親子ほども歳の離れた二人でしたが、音楽を通じて魂が響き合った
ということでしょうか。
ハイドンはモーツァルトの才能を認め、モーツァルトはハイドンを
心から慕い、6つの弦楽四重奏曲(ハイドン・セット)を捧げています。(^^♪
J.S.バッハ
ヨハン・セバスチャン・バッハ。
バッハ一族に生まれたら
音楽家になるのは当たり前というほど、
楽師を輩出した家系だったということです。
日本でもたいへん人気のある作曲家ですが、
これほど愛されるようになったのは、意外にも
死後80年ほど経ってからのこと。
きっかけは、メンデルスゾーンやシューマンによる
バッハ作品の掘り起しでした。
幼くして両親を亡くし、最初の妻に先立たれて
男手ひとつで4人の子どもを育てたり、教会や学校など
組織の中のややこしい争いごとに巻き込まれたり、
いろいろと苦労の絶えない生涯だったバッハ。
晩年には、失明までしてしまいます。
(これは、少年時代に月明かりやろうそくの火など、
薄暗い灯りの中で写譜したことが一つの原因だったそう)
それでも、生一本、真面目一徹に生きたバッハ。
最初の妻も再婚した二度目の妻も、どちらも彼を
尊敬し、愛し、内助の功で支え続けたという話が
本当に救いに感じられます。(;_:)
リムスキー=コルサコフ
リムスキー=コルサコフの誕生日。
この人のファンからは、
「リムスキーと言えば、必ずと言っていいほど
『シェエラザード』ばっかり取り上げられるけど、
ほかにもいっぱいいい曲あるよ!」と
つっこまれてしまうのですが…。
この曲には、ちょっとした思い出がありまして。
昔々、ロックや黒人音楽にどっぷりと浸かっていた頃、
ある同級生が、この曲のカセットテープを貸して
くれたのです。
彼は当時、学ランにリーゼントで、永ちゃんとかが好きで、
夜中にバイクをブッ飛ばす、いわゆるヤンキー少年でした。
それがある日、「ロックもええけど、こんなんもええで」と…。
よく聞くと、中学時代は吹奏楽部に所属していて、クラシックを
たくさん聴いていたとのこと。
十代の多感な心境に、スーッと入ってきた『シェエラザード』。
千夜一夜の物語を想像しながら聴いたのを覚えています。(^^)
ショパン
誕生日は、1810年の今日、3月1日。
すでにこのコーナーで紹介した作曲家は、
短命な人が多かったです。
モーツァルト35歳。シューベルト31歳。
メンデルスゾーン38歳。
そして、このショパンも、
39歳という若さで亡くなっています。
肺結核が原因だったとのこと。
幼い頃から感受性が強かったらしく、お母さんが弾いているピアノの
音を聴いて、涙をポロポロ流したというエピソードが残っています。
彼は、生涯ピアノという楽器をこよなく愛したのでしょう。
作品のほとんどが、ピアノ曲です。
祖国ポーランドへの郷愁。実らなかった恋への想い。
そして、長年わずらった病の苦しみ。
ショパンには、薄幸だったイメージがつきまといがち。
けれど、ロマンチックなワルツにも、陽気なマズルカにも、
勇壮なポロネーズにも、すべて彼の満面の笑みがあふれているみたいに感じる。
そう思うのは、私だけでしょうか?(^^)
チェルニー
実に223年前の今日、ウィーンで生まれたチェルニー。
(時代背景としては、フランス革命の頃になりますね)
才能に恵まれた彼は、子どものときから
ベートーヴェンの弟子になりました。
14歳ともなれば、今度は自分が教える立場になり、
朝から晩まで12時間もピアノレッスンをしていたとのこと!
(あのフランツ・リストも彼の生徒だったのです)
さて、そのチェルニー。
日本では、バイエルとともに ピアノ教育に絶対に欠かせない
テキストとして、長い間使われ続けてきました。
が、 本当のところ、あまりチェルニーが好きな人はいないんです。
「難行苦行みたいでつまらない」「全然たのしくない」といった
声の方が圧倒的に多かった。(かくいう私もそうでした (^^;))
「なぜチェルニーをやらなければならないのか?」
音楽ライターの山本美芽氏は、私たちみんなの疑問を背負って立つかのように、
『21世紀へのチェルニー~訓練と楽しさと~』(株式会社ショパン)
という本を出版してくれました。
どうチェルニーとつき合うか?はもとより、
日本のピアノ教育の歴史やあり方にはじまって、そもそも
<どう音楽と向き合うべきか?>まで突き詰めて考える機会を与えてくれる、
勉強になり、なおかつとっても面白い本なんです。(^O^)
チェルニーの誕生日をきっかけに、本の宣伝をしてしまいましたが。(^▽^;)
ピアノ教育に情熱を傾けたチェルニーさんなら、きっとわかってくれますよね。
ぜひご一読を!(^_-)-☆
メンデルスゾーン
誕生日のメンデルスゾーン。(^^)
ドイツのハンブルクで生まれました。
子どもの頃から勉強はできるし、
絵は上手だし、なんと五か国語もあやつれたそうで、
イメージは「天才肌」。
ピアノの発表会で、みんなに人気のあるのが『春の歌』。
『ヴェニスのゴンドラの歌 』も、切ない曲調で とても素敵です。
でも、なんと言っても一番ポピュラーなのは、
例の、結婚式の定番曲ですよね!(≧▽≦)