モーツァルト♪
愛しのモーツァルト
いえ、正確に言えば、「好き」とか「嫌い」とか
言う次元ではなく。
我が人生に、なくてはならない存在。
大げさではなく、本当なのです。
彼の音楽があったからこそ、今こうして笑っていられる気もします。
あの世に召される瞬間は、やっぱりモー様を聴いていたいなぁ。
しんみり思う、命日なのでした。
41番シンフォニー
大阪城公園近くの いずみホールにて、
印象深いコンサートがありました。
大植英次と大阪フィルハーモニー交響楽団の
ラブラブコンビによる、オール・モーツァルト。
プログラムの最後に演奏されたのが、41番シンフォニー。
41番は明るくて壮大。
そういうイメージがあるので、その日も気楽に演奏を楽しもうと思っていたのでした。
ところが、まさか、まさか。
第四楽章のラストの盛り上がりのところで、はからずも号泣。
なんだ。何が起こったんだ?なんでワタシはこんなに泣いているんだ?
だって、どうしようもないんだもん。
となりの席の人にバレる。恥ずかしい!誰かとめて。ワタシのナミダを。
心臓の鼓動は激しく、頭の中は真っ白。
ただ感動だけが、あとからあとから怒涛のように押し寄せてくるのです。
涙の霊でも憑りついたんか?っていうくらいにぐちゃぐちゃに泣きました。
後にも先にも、こんな経験はこれ一度きり。
一生忘れられないコンサートになりました。
みなさんにも聴いていただきたいと思い、大植&大フィルで探したのですが
見つからず。演奏者は違っても名曲は同じということで、どうぞお聴きください!
40番シンフォニー
大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、
このト短調シンフォニイの有名なテエマが
頭の中で鳴ったのである…
それは、自分で想像してみたとはどうしても思えなかった。
街の雑沓の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、
誰かがはっきりと演奏した様に鳴った。
僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた。
百貨店に駆け込み、レコオドを聞いたが、もはや感動は還って来なかった。
…ほんとうに悲しい音楽とは、こういうものであろうと僕は思った。
その悲しさは、透明な冷い水の様に、僕の乾いた喉をうるおし、
僕を鼓舞する、そんな事を思った。
この文章は、有名な小林秀雄の評論、「モオツァルト」の中の一節です。
これが書かれたのは、昭和21年の夏ごろのこと。
こんなことって、あるかな…
少なくとも、小林秀雄にはあったんやろう。
道頓堀近くの百貨店って、髙島屋やろか。
(いろんなことを考えてしまいます)
こんな経験をした、小林秀雄にちょっとばかり嫉妬したりして…
今日は、彼の頭の中で突然鳴ったという、40番シンフォニーの第四楽章!
39番シンフォニー
生きていることと、死んでいることは、
そんな大きな不思議なものをモーツァルトの
優しい音楽が表現しているような気がしましたの。
これは、宮本輝氏の「錦秋」という小説の中の
主人公のせりふです。
この小説の中には、<モーツァルト>という名前の喫茶店が出てきます。
店の主人は大のモーツァルトファンで、主人公の女性にいろいろと
モーツァルトについて語るのですが、39番シンフォニーのことを
「16分音符の奇跡」だと表現します。
この小説がきっかけで、39番をしっかり聴きなおしたいと思った私は、
文庫本を片手に、何度も何度もくりかえしCDを聴きました。
モーツァルトのシンフォニーといえば「40番」一辺倒だったのですが、
39には39の魅力、素敵さがいっぱいつまっていることをはじめて知ったのです。
特に好きなのは、第二楽章。
冒頭のせりふ、「生きていることと死んでいることは同じことかも知れへん」
そう主人公に言わせた作家の想いが伝わってくるような
静けさと哀感に満ちています。
交響曲 第39番 変ホ長調 第二楽章(アンダンテ コンモート)
モーツァルト生誕260年
1756年1月27日。
モーツァルトが生まれてから、
昨日、久しぶりにいずみホールの
コンサートに行きました。
プログラムは、オールモーツァルト。
デスピノーザ(指揮)&日本センチュリー交響楽団の
演奏は、オーソドックスで端正なモーツァルトでしたが、
個人的には、もう少しうねるような「熱」が欲しかったな…という思いも。
でも、これをきっかけに晩年の三大シンフォニーに、
スポットを当ててみたくなりました!
次回からは、しばらくモーツァルトにおつき合いくださいませね!(^_-)-☆
モーツァルトとマリー・アントワネット
ウィーンの シェーンブルン宮殿で
はじめて<御前演奏>をします。
ピアノのそばに立っているのが、お父さんのレオポルトと幼いモーツァルト。
椅子に座っているのは、皇帝フランツ一世夫妻。
女帝マリア・テレジアに抱えられている女の子が、マリー・アントワネットです。
ピカピカに磨き上げられた床で、すべってころんでしまったモーツァルト。
助け起こしてくれたマリーに、「君はやさしいね。大きくなったら僕の
お嫁さんにしてあげる」と 言ったというエピソードが。(^^♪
いろいろな曲芸をして皇帝を喜ばせた
天才児モーツァルト。
後日、マリア・テレジアから 豪華な礼服を
頂戴したようで、それを着て 誇らしげに
ポーズをとっている姿が、肖像画に残されています。
ほんとに可愛いヴォルフガング…! (≧▽≦)
哀しみのモーツァルト~レクイエム~
1791年。
モーツァルトは
歌劇『魔笛』を完成させます。
いつもながら作曲の仕事はたてこみ、
7月に依頼された『レクイエム』も
同時進行で進めている状態でした。
そのころの彼の私生活は…
三男、長女、次女が相ついで生まれるのですが、
いずれもすぐに病気で亡くなっています。
その上、妻のコンスタンツェも重病にかかり、療養に行ってしまいます。
家計は火の車。
働いても働いてもお金はなくなっていく。
相当追い詰められた生活だったようで…
そうこうしているうちに、ついに彼自身も病に倒れてしまうのです。
伝染病だったとか食中毒だったとか、諸説ありますが
心身ともに疲れ果てていたのでしょう。
『レクイエム』は、8曲目<ラクリモーサ~涙の日>の
最初から8小節までが彼の作。
そこで絶筆となっているのです。
you tubeで楽譜付きのものを見つけましたので、
ぜひ、その8小節までを確かめてみてくださいね。
(続きは弟子が補筆完成したと言われています)
12月5日はモーツァルトの亡くなった日。
合掌。(:_;)
「おいらは鳥刺し」聴き比べ!
大人も子どもも一緒に楽しめる、
奇想天外なファンタジー作品。
以前、このオペラの中の人気のアリア(独唱歌曲)、
<夜の女王のアリア>にスポットを当てて紹介したことが
ありますが、今日はそれに勝るとも劣らない人気の
「おいらは鳥刺し」というアリアの聴き比べです!(^^)
<鳥刺し>ということば、気になりませんか?
鳥を刺す?なんや、それ。焼き鳥?
そう思う方は多いでしょう。
<鳥刺し>とは、鳥類の捕獲を仕事にしている人のこと。
「魔笛」の中では、夜の女王に鳥たちを献上している
<鳥おとこ>として、ユーモラスに登場します。
(ちなみに、教室の発表会でも「魔笛」の物語を上演したことが
何回かありますが、この曲は親しみやすく、みんなすぐに
おぼえてルンルンと歌ってくれました!)
まずは、ヘルマン・プライ。
そして、サイモン・キーンリーサイド。
なんと、ボカロの日本語バージョンまでありましたよ!(^^;)
(You Tube本当に便利…)
モーツァルト5歳の曲
お姉ちゃんのナンネルのまねをして、
ひとりでピアノを弾き始めたそうです。
4歳でナンネルの練習帳(お父さんのお手製の
練習曲集です)を弾きこなし、5歳のときには
とうとう作曲活動をスタートしてしまいました。
わずかな音の狂いも聴きのがさないモーツァルトは、
絶対音感があったと言われています。
「おじさんのヴァイオリンは、僕のより8分の1音低いよ」
と、しゃあしゃあと言ってのけたという逸話が。(^^;)
神童の初めての作品って、どんなだったんだろうって思いませんか?
ね、みなさん、興味あるでしょう?
ぜひ聴いてみてくださいね!(^_-)-☆
哀しみのモーツァルト~弦楽四重奏曲編②~
演奏して回ったモーツァルト。
三回目のイタリア旅行のときに、
6曲の弦楽四重奏曲を作っています。
(「作っています」とさらりと書きましたが、
彼は当時16歳でした…。(^^;) )
3曲目の、第二楽章が短調の作品なのです。
何を思ってこんなにどんどん曲が作れるのか。
天才だから。と言ってしまえば、それで終わりなのですがね。
それにしても16歳で…。
どういう感性をしてるのでしょう???