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情けない自分と向き合う
疲れ果てたとき。
大泣きに泣いたとき。
それでも自分は自分。
自分をつき放してはいけないのです。
そのまんま受け止めて。
しばらく倒れて。
あの人もあの時、こんな気持ちだったのか。
やっとわかった。
そんなこともある。
いいこともある。
いや、むしろ それでよかった。
また明日から再出発。
音色を決める!
先回の続きです。
アンサンブル曲の各パートを、それぞれの
担当者が練習して、みんなで合わせられる
段階になったら。
さて次は、いよいよ<音色>決定です。
エレクトーンやキーボードでどんな音を出すか。
原曲アレンジの音色に似せることもあれば、
イチから考えて曲の雰囲気に合うものを
選び出すこともアリ!
いずれにせよ、音色を決定するためには、数人で同時に演奏することが大切。
全体のバランスがとても大事なのです。
この音いいな、と思っても、ほかの楽器と一緒に演奏すると、
線が細くて埋もれてしまったり、逆に飛び出て悪目立ちすることがあるからです。
お互いがお互いを「生かせる」音色であることが何よりも大切。
これってなんだか、すごく深い話ですよねぇ?(≧▽≦)
アンサンブルへの道のり
練習もいよいよ大詰めになってきました。
ひとりひとりが披露するソロ曲はもちろんのこと、
グループで演奏するアンサンブル曲の合同練習にも
熱が入る毎日です。!(^^)!
とはいえ、 みんな なかなか忙しい。
スケジュール調整がうまくいかなくて、全員そろうことは まれ。(*_*;
まずは、ベースになる伴奏データに合わせて、それぞれが個人練習を積みます。
自分のパートがうまく演奏できる段階になってから、
二人、三人…と集まって、息を合わせる。
そして最終段階では・・・
それは、まだヒミツ!
くわしくは、また次回です~(^o^)/
ひとりっこどうし
合同練習が毎日続いています。
ふだんの個人レッスンでは なかなか会えない
教室仲間とも、思いっきり一緒に練習できる
貴重な春休み期間なんです。
先日、こんなことがありました。
ひとしきりフィナーレの練習をし終わって
ほとんどのメンバーが帰ったあと、女子高生のMさんと
5歳のEちゃんが、なにやら 仲よくしている様子。
よく見ると、Eちゃんは「Mさん大好きー」と言って、
しっかり膝にのって抱きついているではありませんか。(^▽^;)
「ひとりっこどうしが仲ようなって!
妹ができ、お姉ちゃんができて、お互いによかったなぁ」
と言うと、すかさずMさん、
「先生!ワタシ、弟もできたんですよ!」とすごく嬉しそう。
そう言えば年小のRくんも、こないだMさんのことを追いかけまわしてたなぁ。
一緒に練習すればするほど情はうつる。
ほんまのきょうだいみたいになるよね。
毎年 こんな光景を目にするたびに、
先生だってめちゃくちゃ嬉しいんだよ。(^^)
ラフマニノフ
生前、彼は身長が2mくらいあったそうです。
当然のことながら、手も大きい。
なんと、ドの音に左手の小指を乗せ、
1オクターブ半上のソを親指でおさえられたとのこと!(゜o゜)
そう言えば、あることを思い出しました。
10年ほど前、ヴァレリー・アファナシエフのリサイタルに行ったときのこと。
すごい長身ゆえに、コンサートピアノが小さく見えました。
鍵盤の上に乗せられた手指は、まるで山崎スティックパンみたい。(^^;)
ラフマニノフも、きっと同じような感じだったのでしょう。
<ヴィルトゥオーソ(完璧な演奏家)>と称されたラフマニノフでしたが、
交響曲第一番の発表が失敗に終わり、強烈な挫折感も味わった人生でした。
けれど、ラフマニノフといえば やはりこの曲ですよね。
映画作品の中で用いられたり、最近ではフィギュア・スケートの
浅田真央選手のフリー演技の楽曲としても有名になった、あの曲です。(^^♪
F.J.ハイドン
オーストリアで生まれました。
幼い頃から音楽の才能に恵まれていたようです。
歌声の美しさを買われて、8歳のときに聖歌隊に
入り、寄宿舎で生活を続けた少年ハイドン。
親元を離れて暮らし、さぞかし苦労も多かった
ことでしょう。
ところが、聖歌隊でがんばったにもかかわらず、
声変わりして使い物にならなくなると、もうお前はいらないと
ばかりに解雇されてしまいます。
それからは、コツコツと自分自身で音楽の勉強に勤しみ、
作曲をするようになったとのこと。ほんと、頭が下がります。
モーツァルトと親交を深めたのは、有名な話。
モーツァルトが25歳のとき、ハイドンはすでに49歳になっていました。
親子ほども歳の離れた二人でしたが、音楽を通じて魂が響き合った
ということでしょうか。
ハイドンはモーツァルトの才能を認め、モーツァルトはハイドンを
心から慕い、6つの弦楽四重奏曲(ハイドン・セット)を捧げています。(^^♪
音楽in絵画㉒
ラウル・デュフィ(1877-1953)
≪ヴァイオリンのある静物≫
(デュフィの絵は どれも色彩が美しく、見ているだけで
幸せな気持ちになれます。音楽が大好きだったので
楽器を描いた作品が多く、モーツァルトシリーズや
美術展で デュフィの絵ハガキをたくさん買いこみ、
小さな額にあれこれと入れ替えては楽しんでいます)
暗譜第一号!
発表会で弾くソロ曲を、今日暗譜で完璧に
仕上げることができました。\(^o^)/
先週の段階では、まだまだとても
仕上げには ほど遠かったはず。
なのに、この急激な進歩はいったい…?(゜o゜)
「Kちゃん、おうちでいっぱい練習したの?」ときくと、
だまってこっくり。
静かにほほえんでいるだけです。
Kちゃんは、いつも無口だね。
でも、とてもがんばりやさん。
すごいよ、暗譜第一号だ!
よく努力しました。
教室を出て、おもてに出るまでは静かなKちゃんだったけれど、
お迎えのおばあちゃんに会った瞬間、
ごほうびシール二枚貼れたこと、報告してたのかな?
ドアごしに大きな声が聞こえていたよ。(^^)
明日も合同レッスンが待ってるよ。
がんばろうね!
みんなで音楽
個人レッスンですが、発表会が近づくと
ほかの生徒さんと一緒に合同レッスンをします。
ふたりや3人でするピアノ連弾。
エレクトーンやキーボードも加えて、鍵盤楽器だけで
演奏するアンサンブル。
リコーダーやミュージックベルなど、鍵盤楽器以外のアンサンブル。
パート別にわかれて、ハーモニーに挑戦する合唱。
そして、打楽器をたたいたり、ダンスしたりの
たのしいリトミック!(≧▽≦)
練習時間が長くなればなるほど、お互いに親しくなるし、
いろいろ相談し合って工夫しようとする。
そこに連帯感が生まれ、協調性が育まれ、音楽自体もまとまっていく。
それは、大人もこどももみな同じ!(^^)
だから、毎年発表会のたびに、みんなで音楽する機会を
もっと大切にしていこうと思うのです。
J.S.バッハ
ヨハン・セバスチャン・バッハ。
バッハ一族に生まれたら
音楽家になるのは当たり前というほど、
楽師を輩出した家系だったということです。
日本でもたいへん人気のある作曲家ですが、
これほど愛されるようになったのは、意外にも
死後80年ほど経ってからのこと。
きっかけは、メンデルスゾーンやシューマンによる
バッハ作品の掘り起しでした。
幼くして両親を亡くし、最初の妻に先立たれて
男手ひとつで4人の子どもを育てたり、教会や学校など
組織の中のややこしい争いごとに巻き込まれたり、
いろいろと苦労の絶えない生涯だったバッハ。
晩年には、失明までしてしまいます。
(これは、少年時代に月明かりやろうそくの火など、
薄暗い灯りの中で写譜したことが一つの原因だったそう)
それでも、生一本、真面目一徹に生きたバッハ。
最初の妻も再婚した二度目の妻も、どちらも彼を
尊敬し、愛し、内助の功で支え続けたという話が
本当に救いに感じられます。(;_:)