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情けない自分と向き合う

10-32-19-65_250x250[1]失敗してしまったとき。

疲れ果てたとき。

大泣きに泣いたとき。

 

それでも自分は自分。

自分をつき放してはいけないのです。

 

そのまんま受け止めて。

しばらく倒れて。

 

あの人もあの時、こんな気持ちだったのか。

やっとわかった。

 

そんなこともある。

いいこともある。

いや、むしろ それでよかった。

 

また明日から再出発。

 

 

 
 

音色を決める!

13-26-27-120_250x250[1]先回の続きです。

 

アンサンブル曲の各パートを、それぞれの

担当者が練習して、みんなで合わせられる

段階になったら。

 

さて次は、いよいよ<音色>決定です。

 

エレクトーンやキーボードでどんな音を出すか。

原曲アレンジの音色に似せることもあれば、

イチから考えて曲の雰囲気に合うものを

選び出すこともアリ!

 

いずれにせよ、音色を決定するためには、数人で同時に演奏することが大切。

全体のバランスがとても大事なのです。

この音いいな、と思っても、ほかの楽器と一緒に演奏すると、

線が細くて埋もれてしまったり、逆に飛び出て悪目立ちすることがあるからです。

お互いがお互いを「生かせる」音色であることが何よりも大切。

 

これってなんだか、すごく深い話ですよねぇ?(≧▽≦)

 

 

 
 

アンサンブルへの道のり

10-08-55-845_250x250[1]日に日に近づいてきた発表会(4/27)…

練習もいよいよ大詰めになってきました。

 

ひとりひとりが披露するソロ曲はもちろんのこと、

グループで演奏するアンサンブル曲の合同練習にも

熱が入る毎日です。!(^^)!

 

とはいえ、 みんな なかなか忙しい。

スケジュール調整がうまくいかなくて、全員そろうことは まれ。(*_*;

 

まずは、ベースになる伴奏データに合わせて、それぞれが個人練習を積みます。

自分のパートがうまく演奏できる段階になってから、

二人、三人…と集まって、息を合わせる。

 

そして最終段階では・・・

それは、まだヒミツ!

くわしくは、また次回です~(^o^)/

 

 
 

ひとりっこどうし

22-56-04-724_250x250[1]いよいよ近づいてきた発表会(4/27)の準備のため、

合同練習が毎日続いています。

 

ふだんの個人レッスンでは なかなか会えない

教室仲間とも、思いっきり一緒に練習できる

貴重な春休み期間なんです。

 

先日、こんなことがありました。

 

ひとしきりフィナーレの練習をし終わって

ほとんどのメンバーが帰ったあと、女子高生のMさんと

5歳のEちゃんが、なにやら 仲よくしている様子。

よく見ると、Eちゃんは「Mさん大好きー」と言って、

しっかり膝にのって抱きついているではありませんか。(^▽^;)

 

「ひとりっこどうしが仲ようなって!

妹ができ、お姉ちゃんができて、お互いによかったなぁ」

と言うと、すかさずMさん、

「先生!ワタシ、弟もできたんですよ!」とすごく嬉しそう。

そう言えば年小のRくんも、こないだMさんのことを追いかけまわしてたなぁ。

 

一緒に練習すればするほど情はうつる。

ほんまのきょうだいみたいになるよね。

 

毎年 こんな光景を目にするたびに、

先生だってめちゃくちゃ嬉しいんだよ。(^^)

 

 

 
 

ラフマニノフ

180px-Rachmaninoff_1900[1]1873年の今日、4月1日がラフマニノフの誕生日。

 

生前、彼は身長が2mくらいあったそうです。

当然のことながら、手も大きい。

 

なんと、ドの音に左手の小指を乗せ、

1オクターブ半上のソを親指でおさえられたとのこと!(゜o゜)

 

そう言えば、あることを思い出しました。

10年ほど前、ヴァレリー・アファナシエフのリサイタルに行ったときのこと。

すごい長身ゆえに、コンサートピアノが小さく見えました。

鍵盤の上に乗せられた手指は、まるで山崎スティックパンみたい。(^^;)

ラフマニノフも、きっと同じような感じだったのでしょう。

 

<ヴィルトゥオーソ(完璧な演奏家)>と称されたラフマニノフでしたが、

交響曲第一番の発表が失敗に終わり、強烈な挫折感も味わった人生でした。

 

けれど、ラフマニノフといえば やはりこの曲ですよね。

映画作品の中で用いられたり、最近ではフィギュア・スケートの

浅田真央選手のフリー演技の楽曲としても有名になった、あの曲です。(^^♪

 

ピアノ協奏曲 第二番

 

 
 

F.J.ハイドン

Haydn_portrait_by_Thomas_Hardy_(small)[1]1732年3月31日、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンは

オーストリアで生まれました。

 

幼い頃から音楽の才能に恵まれていたようです。

歌声の美しさを買われて、8歳のときに聖歌隊に

入り、寄宿舎で生活を続けた少年ハイドン。

親元を離れて暮らし、さぞかし苦労も多かった

ことでしょう。

 

ところが、聖歌隊でがんばったにもかかわらず、

声変わりして使い物にならなくなると、もうお前はいらないと

ばかりに解雇されてしまいます。

それからは、コツコツと自分自身で音楽の勉強に勤しみ、

作曲をするようになったとのこと。ほんと、頭が下がります。

 

モーツァルトと親交を深めたのは、有名な話。

モーツァルトが25歳のとき、ハイドンはすでに49歳になっていました。

親子ほども歳の離れた二人でしたが、音楽を通じて魂が響き合った

ということでしょうか。

ハイドンはモーツァルトの才能を認め、モーツァルトはハイドンを

心から慕い、6つの弦楽四重奏曲(ハイドン・セット)を捧げています。(^^♪

 

交響曲94番『驚愕』第二楽章

 

 
 

音楽in絵画㉒

d6[1]

ラウル・デュフィ(1877-1953)

≪ヴァイオリンのある静物≫

(デュフィの絵は どれも色彩が美しく、見ているだけで

幸せな気持ちになれます。音楽が大好きだったので

楽器を描いた作品が多く、モーツァルトシリーズ

オーケストラ室内楽をテーマにしたものがあります。

美術展で デュフィの絵ハガキをたくさん買いこみ、

小さな額にあれこれと入れ替えては楽しんでいます)

 
 

暗譜第一号!

00-03-01-244_250x250[1]この4月に、小学二年生になるKちゃん。

発表会で弾くソロ曲を、今日暗譜で完璧に

仕上げることができました。\(^o^)/

 

先週の段階では、まだまだとても

仕上げには ほど遠かったはず。

なのに、この急激な進歩はいったい…?(゜o゜)

 

「Kちゃん、おうちでいっぱい練習したの?」ときくと、

だまってこっくり。

静かにほほえんでいるだけです。

 

Kちゃんは、いつも無口だね。

でも、とてもがんばりやさん。

すごいよ、暗譜第一号だ!

よく努力しました。

 

教室を出て、おもてに出るまでは静かなKちゃんだったけれど、

お迎えのおばあちゃんに会った瞬間、

ごほうびシール二枚貼れたこと、報告してたのかな?

ドアごしに大きな声が聞こえていたよ。(^^)

 

明日も合同レッスンが待ってるよ。

がんばろうね!

 

 

 
 

みんなで音楽

4IS_tubakinohana500-thumb-186xauto-1405[1]ふだんのレッスンは、ひとりひとり別々の

個人レッスンですが、発表会が近づくと

ほかの生徒さんと一緒に合同レッスンをします。

 

ふたりや3人でするピアノ連弾。

 

エレクトーンやキーボードも加えて、鍵盤楽器だけで

演奏するアンサンブル。

 

リコーダーやミュージックベルなど、鍵盤楽器以外のアンサンブル。

 

パート別にわかれて、ハーモニーに挑戦する合唱。

 

そして、打楽器をたたいたり、ダンスしたりの

たのしいリトミック!(≧▽≦)

 

練習時間が長くなればなるほど、お互いに親しくなるし、

いろいろ相談し合って工夫しようとする。

そこに連帯感が生まれ、協調性が育まれ、音楽自体もまとまっていく。

それは、大人もこどももみな同じ!(^^)

 

だから、毎年発表会のたびに、みんなで音楽する機会を

もっと大切にしていこうと思うのです。

 

 

 
 

J.S.バッハ

Bach[1]1685年の3月21日、ドイツに生まれた

ヨハン・セバスチャン・バッハ。

 

バッハ一族に生まれたら

音楽家になるのは当たり前というほど、

楽師を輩出した家系だったということです。

 

日本でもたいへん人気のある作曲家ですが、

これほど愛されるようになったのは、意外にも

死後80年ほど経ってからのこと。

きっかけは、メンデルスゾーンやシューマンによる

バッハ作品の掘り起しでした。

 

幼くして両親を亡くし、最初の妻に先立たれて

男手ひとつで4人の子どもを育てたり、教会や学校など

組織の中のややこしい争いごとに巻き込まれたり、

いろいろと苦労の絶えない生涯だったバッハ。

晩年には、失明までしてしまいます。

(これは、少年時代に月明かりやろうそくの火など、

薄暗い灯りの中で写譜したことが一つの原因だったそう)

 

それでも、生一本、真面目一徹に生きたバッハ。

最初の妻も再婚した二度目の妻も、どちらも彼を

尊敬し、愛し、内助の功で支え続けたという話が

本当に救いに感じられます。(;_:)

 

主よ、人の望みの喜びよ

 

 

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